どの時制に囚われているか?

人は未来、今、過去のどれかに自分の考え方の重心を置いているかに思えます。
僕は、かつて悲観的な性格で過去の失敗とその時の別の行動の可能性ばかりを気にする子供でした。

高校時代の長期入院、大学時代の下宿生活、阪神大震災、独立などで考え方の改造に成功しました。結果はともかくも成功はしました。

未来から今も過去の考えていくという形に。

それでずっとやってきたし、大きな問題もないし、自分の心持もしっかりするし、といい事づくめに思えていました。

でも、それは「今」を軽視するという姿勢の裏返しでもあるのですね。
「未来」からすれば「今」は乗り越えられる対象として、そこにあります。
ある意味、「今」を「過去」としてまとめてしまうという姿勢も孕んでいます。

もちろん僕は「今」を体現する芸術表現が大好きです。
例えば、BeatniksやBeBopなど。

でも、それすらも「革命的」という今を乗り越えていく運動としての性格に惹かれていたのかもしれません。

このことは真剣に振り返る必要があると考えています。

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